”講談”って知ってますか?
さて、
こんな話を聞きました。
戦前、日本には、寺子屋と講談が全国に800ほどあって、
偉人の話、歴史上の偉人の話、偉人のストーリーを民衆みんなが講談場に集まって聴いていた。そんな場が地域地域にあったそうです。
寺子屋がかつて日本中にあって、大人が子供を大事に育てていた。
地域みんなで子育てをしていた、そのような話はなんとなく聞いていて知っていました。
それがあって、日本は識字率が高かった。とも。
以前、『国家の品格』の藤原正彦氏のお話を聴きに行ったとき、藤原さんがおっしゃっいてたのを思い出しました。
“戦中、我々のじいちゃんたちは、字も読めない相手と戦っていたんですね~”
と、日露戦争のことに触れて。
その当時、私たち日本人は、識字率70%超え。
当時世界的に見たら、驚異のパーセントです。
諸外国は20パーセント程の時代ですから。
そんな中、”講談“のことを聞いて、私の中で、何か今一つ”アメリカが恐れた、日本の威力、日本のパワー”について今ひとつつながっていなかった、ピースがひとつカチッとはまった、それが、講談の存在です。
ご縁をいただき、友人と何人かで講談を拝聴しに行ってきたんです。
結果・・
講談に行ってよくわかったこと。
“戦後、日本が、何を失わされたのか?何を奪われたのか?“
それを肌感覚で、細胞レベルで感じてしまったんです。
感想が涙で言えないくらいに感動しました。
講釈師(講談師)の人となり、から、場の雰囲気から、
語られるストーリーから。すべてがアート。
昔日本には、横のつながりがあった
日本の英雄、偉人について当たり前に伝えてくれる場、人があった。知れる、聴ける場があった。
安心、居心地のいい場、くつろげる憩の場があった。
講釈師の方の垣根のないお人柄、それと、観客との阿吽の呼吸。
受付から、羊羹(ようかん)配りから、ゴミ集めから、全部やっちゃう、
その低姿勢な態度。
これが、“粋”ということなのか・・。
すべてが美しかった。
みなさんもぜひ“講談”に出会ってみてくださいね。
お目覚めにっぽん。
それではまた^^